創られた「日本の心」神話
ずいぶん以前に買ったまま途中で放り投げていたこの本を読了。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)
- 作者: 輪島裕介
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/10/15
- メディア: 新書
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「日本の心」として人口に膾炙されている演歌が、「日本の伝統」ではないということは、そもそも「日本の伝統」などというフィクションを疑ってかかる最近の歴史研究(しばしばそれは歴史構成主義と呼ばれたりもするが)からすれば、十分想像できることであるが、本書はそのだれもが漠然と思っていることを、膨大な一次資料に頼りながら実証してみせたという意味で、意義は大きい。
刊行してからすでに5年近くが経っている。この間、ブログやネットのレビューを見るとすでに各所で高い評価を受けているようだ。とりわけラッパーの宇田丸(と言っても、実はこのひとのことをよく知らないのだが)がラジオで紹介してから一気にその評価が高まったようである。
宇多丸が書籍『創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~』を語る - YouTube
著者によるとこういうことだ。演歌とは明治20年代に自由民権運動の文脈で現れた「歌による演説」を意味するものであったが、昭和40年代には音楽産業のひとつのジャンルであったレコード歌謡を「演歌」と言い換え、それが「知的な操作」を通じて「日本人の心」として再定義されてゆく。この両者は音楽的なつながりは、ほぼ、ない。演歌に特有のヨナ抜き五音音階は大正期にきわめて近代的な意識に基づいて生み出された和洋折衷の産物であり、さらに「こぶし」や「唸り」という特徴的な要素が現れるのは昭和30年代にはいってからであるとう。
筆者は、この仮説を膨大な音源を渉猟することできちんと証明してみせ、さらにその時々の社会情勢、政治情勢のなかで、音楽産業と左翼運動の言説も目配せしながら「日本の心」が出来上がって行く過程を辿ってゆく。
新書とはいえ、厳密な学問的手続きをふまえた論文である。
些末な疑問を言えば、音楽に限らず芸術研究は対象への愛情がなくてはなし得ないと思うのであるが、1970年生まれの筆者が「演歌」とどう距離をとっているのであろうかということと、厳密な学術研究なのになぜ「ですます調」で書かれているのだろうか、という2つの点が気になった。
ちなみに僕が永年信じていた「演歌=韓国からの収奪文化」説は、本書では否定されている。